紅茶専門店「シェドゥーブル」お茶の魅力

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紅茶コラム

紅茶コラム 〜 Black Tea Column


アール・グレイ

柑橘類の一種であるベルガモットで香り付けをした紅茶は、味・香りとネーミングセンスによって現在日本で一番飲まれているフレーバーティーです。この紅茶はストレート、ミルクティー、アイスティーでもおいしくいただけるので皆様も何度かお試しになったことと思います。「アール・グレイ」の名前の由来は諸説ありますが、19世紀にアール・グレイ(チャールズ・グレイ伯爵、イギリスの首相)がおそらく中国から献上された紅茶を気に入り、紅茶商に似た紅茶をつくらせたことが由来です。もともと献上されたのは中国茶をロンガン(ライチに似たフルーツ)で着香したもの、もしくはラプサン・スーチョン(グレードの高いものはロンガンに似た香りがする)ではなかったかと言われています。当時ロンガンはヨーロッパになかったので当時から料理・製菓材料としてつかわれていたベルガモットが香りづけに使われたと考えられます。イギリスのジャクソンズ社とトワイニング社がそれぞれ元祖であると主張しています。ジャクソンズ社は中国紅茶をベースにしており、トワイニング社はセイロン紅茶をベースにしています。現在では両社とも同じ親会社を持つグループ企業ですのであまり露骨に元祖争いはしていないようです。

ボストン・ティーパーティー

1773年に当時まだイギリスの植民地であったアメリカのボストンにおいて起こった暴動の事。当時フランスと北アメリカ大陸の植民地争いの戦争による債務を植民地にも負担させる為に様々な重税を課しており、それに対してアメリカ植民地側からは国会への議員の選出も無かった為に独立の気運が高まってきました。植民地側の抵抗により印紙税は撤廃さたが東インド会社が独占販売していた茶税は残った為、紅茶が重税の象徴になり、12月16日にアメリカ原住民に扮した市民が東インド会社の船舶を襲撃し、紅茶箱342個を海に投げ捨てました。イギリスはこれに対してボストン港の閉鎖やマサチューセッツの自治の剥奪をしたため、植民地側が大陸会議を開くなど、独立戦争の発端のひとつとされています。アメリカ人が紅茶よりコーヒーを好むようになったのはこの時期からだと考えると歴史も今日とつながっているのが理解できます。

世界での紅茶の飲まれ方

スプーンで食べながら紅茶を飲むのが正式な作法とされています。ジャムを入れると液の温度が下がるのでホットで飲む場合は電子レンジなどで温めてから入れる方法があります。季節によってはアイスティーにしてバラエティーが楽しめます。

トルコ:コーヒーで有名な国ですが、紅茶の方が庶民の暮らしに密着しています。ハーブティーなども飲まれているようです。

インド:チャイやスパイスティーが有名ですが、これらは山岳地帯の民族で親しまれている飲み方で一般的にはイギリス式のミルクティー(砂糖入り)が多く飲まれています。

アイスティー誕生

皆様が良く喫茶店等で飲まれるアイスティーは実はそれほど伝統的な飲み方ではありません。またアイスティーは近年では欧州でも多少飲まれるようになりましたが、ホットティーと比較するとまだまだ量は少ないです。一番最初にアイスティーが飲まれたのは米国セントルイスで1904年に開催された万博会場と言われています。夏のセントルイスは欧州と比べると暑く、ホットティーは見向きもされなかったのですが、氷を浮かべて売り出したところ大変好評でした。現在でも米国ではアイスティーを飲む習慣が色濃く残っており、特に南部では甘くしたアイスティーが最高のもてなしとされています。日本、米国の他にアイスティーが多く飲まれているのが香港です。英国の植民地であった事から紅茶は生活の一部でしたが、高温多湿の気候にはやはりアイスティーが根付く要因があったのでしょう。但し同じ植民地であった高温多湿のインドではそれほどアイスティーが浸透していません。インド人の方が伝統を重んじる国民性を持っているのかもしれません。

ティーバッグ誕生

現在世界で紅茶の6割近くはティーバッグで飲まれています。日本でも小売りされている紅茶の8割以上はティーバッグです。ティーバッグのサイズには国民性が現れており、米国や日本では1カップ用の小サイズ(2g前後)、イギリスやカナダではポット用の大サイズが主流です。ポットで入れると茶葉がジャンピングしませんが、ちゃんと蒸らされる為、紅茶の味・香りがきちんと抽出されます。1カップ用のティーバッグでもソーサーなどで蓋をして蒸らすといつもより良い味・香りになります。一度試してください。
ティーバッグは1908年アメリカの紅茶商のトーマス・サリバンによって発明されたと言われています。当時は絹の袋に入れた茶葉をそのままポットに入れていたようです。1920年代には一般向けの紙の袋での製造が始まりました。近年では紙の代わりに不織布やナイロンなどが使われています。また、四角、筒状を半分に折ったもの、丸型、テトラ型など様々な形態が開発されています。

ロイヤル・ミルクティー

茶葉を温めた牛乳で抽出したロイヤル・ミルクティーは寒い日などにはとても美味しいものです。しかしながらロイヤル・ミルクティーはどうやら和製英語の様です。チャイをヒントにしていながら、英国式のネーミングで大ヒット・定番になりました。マーケティングの成功例でしょう。ちなみにイギリスなどでロイヤル・ミルクティーをオーダーしても多分通じません。

レモンティーについて

日本ではレモンティーが長い間主流でした。名糖のレモンティー(缶入り)はどの家庭にもありましたし、喫茶店で紅茶をオーダーするとこれが出てくる事も昔はありました。今はなぜか人気が低迷しています。イギリスではあまり飲まれませんが、米国では比較的飲まれています。レモンティーを楽しむコツはレモンの渋みが出ない様に紅茶の中にレモンスライスを漬けすぎない事です。2〜3回かき混ぜたらすぐに引き上げてください。また、2杯目には新しいレモンスライスを使ってください。

カフェインを減らす方法

紅茶の茶葉には約3〜5%のカフェインが含まれています。良くコーヒーより紅茶の方がカフェインを多く含んでいると言われますが、実際は抽出後の紅茶(液)のカフェイン量はコーヒー(液)の半分程になります。また紅茶のカフェインはタンニンと結びつく事により覚醒作用が減ると言われています。カフェインに敏感な方、夜に紅茶を飲みたい方、お子様用には下記の方法で紅茶を入れてください。ポットの茶葉にお湯を注いでから15〜30秒(茶葉の大きさによって変えてください)で一度抽出液を捨てて再度お湯を注いで下さい。カフェインは他の成分より抽出が早いので、紅茶の味をそれ程損なう事なくカフェインを減らす事ができます。

キューカンバーサンドイッチ

アフターヌーンティーには欠かせないとされているキューカンバーサンドイッチ。日本人から見るとキュウリのサンドイッチが何でイギリス人にもてはやされるかが理解できません。イギリスでは最近でこそスーパーの店頭に生野菜が山積みされていますが、アフタヌーンティーの作法が完成された19世紀中旬においては庶民の食卓には根菜類以外の野菜はあまり並びませんでした。また、鮮度劣化や衛生面から野菜をくたくたに茹でる調理法が主流でした。その様な食文化の中で暖かい場所で栽培されるキュウリを生で食べられるのは貴族や一部の上流階級の特権でした。現在でもその名残からキューカンバーサンドイッチがアフタヌーンティーの定番となっています。インドでも上流階級ではキューカンバーサンドイッチは人気があり、クリケットの試合の間などで楽しまれています。

ビートルズの曲「Good Morning Good Morning」

「People running round it's five o'clock. Everywhere in town is getting dark. Everyone you see is full of life. It's time for tea and meet the wife.」との歌詞があります。この歌はジョン・レノンとポール・マッカートニーの共作とクレジットされています。郊外に住む等身大のイギリスの人々をモチーフにしたとされています。この歌詞の中の「Tea」は紅茶の事では無く軽い夕食の意味と考えられます。また、「Meet The Wife」は当時のテレビのメロドラマの事であろうと言われています。

スリランカの紅茶栽培

現在スリランカはインド、中国、ケニアに次ぐ世界4位のお茶の生産国であり生産量の約1割を占めています。インドと中国は自国の消費量が膨大な為、輸出量でみるとスリランカの紅茶はケニアと肩を並べて世界最大の輸出国です。これだけの紅茶大国になったのは、お茶栽培に適していた事、外貨獲得の為に国策として奨励した事、イギリスの大企業からの資本投下があった事などがあげられます。しかし、スリランカで大規模な紅茶が栽培される様になったのは1869年にサビ病でコーヒー園が壊滅的なダメージを負ってしまってからです。この頃スリランカはブラジルに次ぐ世界2位のコーヒー生産国でした。サビ病は感染力が強く(インドネシアやジンバブエ等で国全体のプランテーションが壊滅したケースは多々あります)、また当時はまだサビ病に耐性があるコーヒーの品種も無く、他の作物に転作が始まりました。多くの農園は当時のマラリアの薬(キニーネ)の原料となったキナの木に転作しましたが、供給過多で一気に市場価格が崩れた為にさらに紅茶に転作しました。自然条件と資本投下と生産者の努力によって世界中の人々が「セイロンティー」を楽しめるようになりました。